ぽこぺんです。
今日は金曜日。
多くの方にとっては明日から週末。2日のお休み。
今週もお疲れさまでした。
みなさん今週も頑張られたのではないかと思います。
しかし、多くの方がお気付きの通り、日本では頑張ってはいけないのではないかとぽこぺんは思います。
特に最初から全開で頑張ってしまってはいけない。絶対に。
なぜなら、慣れてしますから。
真面目な人ほどこのワナにハマりがちです。
子供のころから私たちは頑張るように教育されます。
勉強頑張れ、スポーツ頑張れ、習い事頑張れ、こんな感じに。
テストでは平均点以下だと頑張れと言われ、平均点を超えてもまだまだいけるから頑張れと言われ、100点とっても他の科目が100点じゃなければ、他を頑張れと言われます。
仮に全科目で100点を取ったとしても終わりはありません。
次のテストでも全科目満点を求められます。
次のテストで全科目満点を取れなければ、失望した、まだまだだな、なんて言われます。
優しい顔して「次回頑張って!」とか言われます。今回は頑張っていないかのように。
ちょっと言い過ぎました。
ダークサイドに落ちてましたね笑
多くの人は意味なんて考えないで頑張れとか頑張るという言葉を使っているにすぎないでしょう。
だけど、頑張ってはいけないというのは的を射ていると思います。
テストで60点を取った時、次はもっと頑張ろうと言われ、次回で80点をとると一応褒められます。
しかし、そこからは100点を目指した戦いが始まります。
それはまぁいい。
問題は、頑張って100点を目指す過程で80点を平均して取れるようになると70点を取った時に失望されます。
「おいっ!どうした!?70点なんてとって…。」みたいに言われます。
でもこっちからしたら、60点スタートなんだから70点は悪くなってないだろ!となりませんか?
結局、周りが80点の自分に慣れてしまうと80点がスタンダードになる。別に何点取るかは関係なくて、相手の期待値を基準に評価される。だから、優等生であるほど期待値を超える余地が小さくなり苦しくなる。
そんな気がします。
これは勉強に限らず、仕事や社会全般に言えることだと思います。
営業成績みたいに可視化できるものは正にこれに当てはまりますし、資料作成みたいなデスクワークでも基本的に同じことが言えると思います。
ぽこぺんは「ヤンキー先生」が嫌いです。
別にヤンキー先生個人に何か思い入れがあるのではなくて、その物語に嫌気がさします。
若い頃ヤンチャしていた青年が一念発起して頑張って先生となって、かつての自分のような不良少年と接しながら勉強を教える。
それがテレビで美談として放送される。
ひどい話だと思いませんか?
最初から真面目に勉強して教師になった人はなぜ取り上げないのですか?
ヤンチャな不良青少年に向き合う教師は彼だけではなく他にもたくさんいるのでは?
ヤンキー先生の教え子たちのその後はどうなているのでしょうか?
色々と疑問が出てきます。とうか疑念が出てきます。
もちろんテレビなので何かキャッチーなバックグラウンドが必要なのはわかります。
ある種の娯楽とか希望みたいなものを含んでいないと番組として成り立たないのはわかります。
でもね、こんな人が国会議員になるというのはどうなんでしょうか?
繰返しますが、別に彼が悪いとか嫌いということはありません。
ただ、真面目にやってきた人はバカを見ていませんかということです。
当選褪せているのは国民なので彼が悪いわけではありませんが、この国の根っからの判官びいきというか、美談に弱いというか、そういうところをつくづくと感じます。
むかし、本か何かで読んだのですが、一流のコンサルタントは自分が優秀であるということは顧客にかくして、少し不安を抱かせるくらいの対応をするようです。
最初からキラキラ優秀な感じで行くと、最終的に顧客の期待を超えるのが難しくなるからだそうです。
最初はコイツ大丈夫かな?と顧客が感じる方が、最後になって「よくやってくれた!」となるんだとか。
これは我々サラリーマンにも使えるスキルかも。
逆に日本は成功者の足を引っ張ることには熱心です。
成功者はあまり称賛されない。
どちらかと言うと、悪いことしてるみたいな目で見られる。
そんな気がします。あくまでぽこぺんのかってな主観です。
そんなわけで、あんまり頑張らない方が良いと思う。
というか、期待値を上げすぎるのは良くないと思う。
資産運用でお金に頑張ってもらおう!
小さな一歩でこつこつと。